創業1832年 江戸時代から続く伝統の酒蔵

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蔵元のある京都府宮津市の丹後由良は、眼前に日本海、後ろには大江山連峰由良ヶ岳と、海と山にはさまれた風光明媚な砂州に位置し、万葉の頃は「由良の戸を、わたるふなびとかぢをたへ、ゆくえもしらぬ恋の道かな」と百人一首にうたわれました。
また、森鴎外の小説で有名な山椒太夫(サンショウダユウ)の、安寿姫と厨子王の伝説の地としても知られております。

ハクレイ酒造は、現在の中西家五代目にあたる、新屋六右衛門が
酒造りの酒蔵を開業したいと田辺藩(現在の舞鶴市辺り)へ願い出ました。

そして現在より177年前の天保3年、西暦では1832年に、
藩主牧野丹後守より酒造りの許可を得て、この丹後由良にて
所領より納められる年貢米を使い酒造業始めました。

創業時の石数は、わずか35石。
一升瓶に直すと約3,500本を天保蔵にて醸造し、それを1年かけて販売しました。

その後年を追う毎に、酒造量は増石し、安政末年(1845年)には
百二十石を醸出しておりました。

ちなみに、創業時の天保蔵は、今現在も貯酒蔵として使用しております。

そして、現在の石数は1,200石。 これは日本酒の最大手の蔵と比べると、
実にその会社のわずか1日の出荷分にもいたりません。

蔵元名 ハクレイ酒造株式会社

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中西 哲也 (なかにし てつや)

ハクレイ酒造株式会社代表取締役 社長

1832年より続く京都府北部・丹後地方の
酒蔵の11代目

代表者名 中西哲也

ハクレイ酒造の名前の由来

ハクレイは漢字で白嶺と書きます。酒蔵の眼前にそびえる丹後富士「由良ヶ岳」、冬の朝、嶺(いただき)に真っ白な雪が積もった様子を9代目六右衛門が詠みました。

hakurei-kanban1.jpgカタカナは設立当時、ソニーやサントリーが相ついで社名をカタカナで表記していました。
それが「当時一番モダンな社名の表記の形」という理由でカタカナ表記にしました。

ハクレイ酒造には看板銘柄として酒蔵の名前である「白嶺(はくれい)」と、もう一つの看板銘柄として、「酒呑童子(しゅてんどうじ)」があります。

「酒呑童子」は、大江山の鬼伝説に因み、その大江山連峰の湧き清水により酒を醸していることに由来します。

「地域に必要とされる酒蔵」として

江戸時代から現在まで続いている産業は数少なく、
その中でも一番たくさん残っているのが実は酒蔵です。

事実、老舗に関する帝国データバンクの調査で、100年以上続いている老舗で
一番多いのも日本酒の酒蔵だそうです。

昭和の中頃まで、お酒屋は地域に密着した半径2kmの商売と言われてきました。

瓶がなかった時代は、お酒が運べませんでしたので、お客さんが徳利(とっくり)を持って
お酒を買いに来ていました。 それは、昭和のはじめから戦後まで続いていました。

酒蔵というものは元々、地域コミュニティの核となる存在でした。

半径2kmの地域の人にお酒を買ってもらって、
その収益を地域に還元や、文化の育成に使っていました。

  • 地域の小学校や郵便局を立てる
  • 地域の書道家、書家、画家など文化人の援助・育成をする
  • 地域に相撲や能・狂言の興行を呼んで地域の人を無料で招待する
  • 酒税で戦費をまかなっていた(日露戦争時には戦費の半分を酒税でまかなっていた)

ハクレイ酒造でも、曾祖父の代で、地域の小学校や郵便局を寄贈して建てていました。

何かの事業でうまくいっている人、税金もしっかりと収めていて、
尊敬される立場にいる人格のある人が、酒造の免許をもらえたわけです。
酒造業は、もともとは営利だけではなかったのです。

ハクレイ酒造も農業でうまくいっていたので酒造りの免許をもらえて、
さらに財を増やしていくことができました。

そのように、酒蔵は、地域の人々に尊敬され敬われる存在で、
地域のお金の循環を大きく担っていました。
決して儲かったからといって海外旅行へ行ったりするわけではないのです。

酒蔵は地域にとって必要とされる存在でありました。

ですから、ハクレイ酒造が存在することによって、

  • 地域に何かを与えているだろうか?
  • 地域が酒蔵を必要としているだろうか?

そのような視点を持ち、考え続けていかなければなりません。

収益を還元し、地域に奉仕・貢献をしていかなければ
酒蔵としての意味はないと考えております。

ハクレイ酒造では、そのような酒蔵の精神を受け継ぎ、
ただお酒を造って販売する事業という枠組みではなく、

どのように地域に奉仕・貢献のできる事業であるかを日々考え、
「地域に必要とされる酒蔵」を目指しております。

ハクレイ酒造ができる地域への奉仕・貢献

  • 酒蔵があることによって、観光など地域に人が集まってくること
  • 地方にお酒が出ていくことによって、結果的に地域にお金が集まってくること
  • 社員を雇用すること
  • 契約農家と酒米作りを行うことによって地域の農業の発展へ貢献すること

良い日本酒の提供を通して、日本の家庭の団欒へ幸せを届ける

地域に奉仕・貢献することを継続していくためには、
まずは、本業の酒造業でしっかりと収益を上げなければなりません。

収益を上げるための最良の方法は、
「良いお酒を提供することによって、日本の家庭の団欒に幸せをお届けする」
これを続けていくことだと考えています。

米と人と、さらには天の恵みである水との調和を大切にした酒造りを基本に、
日本の文化であるお米からできる日本酒を、
よりバラエティ豊かなお酒として表現して参ります。

そしてお客様にとって安心・安全な本物の日本酒造りを通して、
日々の生活を豊かに楽しく過ごせる日本の家庭の創造を目指します。

日本人には、古来より受け継いだDNAの部分にお米を好む部分があるようです。

特に歳を重ねていくとお米(清酒)を求めるようになるそうです。
年配の方がビールから日本酒に移行するのもそのためかもしれませんね。