
日本酒における「テロワール」とは何か
ワインの世界でよく聞く「テロワール」は、土地の条件が味に表れるという考え方です。土壌や気候、地形だけでなく、その土地で積み重ねられてきた人の営みなどを含めて、一杯の個性を読み解こうとします。では、日本酒はどうでしょうか。日本酒の場合、この言葉をそのまま同じ意味で使うには慎重さも必要ですが、実は日本酒もまた、土地と切り離しては語れないお酒です。仕込みに使う水や米の違い、冬の寒さや地域に根づいた造りの考え方が違えば、酒の表情も変わってきます。日本酒の世界にも「土地の個性」を読み解く面白さがあります。
これは、ただのイメージの話ではありません。国税庁が運用するGI(地理的表示)制度は、酒に「その産地ならではの特性」があることを前提にした制度です。産地名を守る制度であると同時に、その土地らしい酒があることを示す制度でもあるといえます。つまり日本酒の地域性は、ふんわりした感覚的なものではなく、一定の根拠を持って考えることができるものなのです。
さらに文化庁は、『伝統的酒造り』が日本各地の気候風土に応じて発展してきたと説明しており、国税庁も同様の趣旨で案内しています。日本酒は、秋に収穫された米を用い、寒い季節の環境を生かして造られてきたお酒。こうした背景からも、日本酒を土地や気候との関係から考えるのは、ごく自然なことだといえます。
京都の酒は、日本酒のテロワールを考えるよい入口になる
日本酒のテロワールを考える入口として、京都はとてもわかりやすい土地といえます。現在、京都は清酒のGIにも指定されていますが、その特徴を語る上で欠かせないのが、国内屈指の酒どころとして知られる「伏見」の存在です。
まず注目したいのは水です。伏見は、桂川・鴨川・宇治川に沿う地域として発展し、古くから豊かな地下水に恵まれてきました。この水は、酵母の栄養源となるカリウムやリンなどのミネラル分を適度に含む『中硬水』であり、発酵を穏やかに育み「甘口」になりやすい特性を持っています。
兵庫県・灘の極めて硬度が高い『宮水』と比較してやわらかな質感を持つことから、京都の酒はきめ細やかで滑らかな『女酒(おんなざけ)』と称されてきました。水質がもたらすこの緩やかな発酵プロセスこそが、京都の酒特有のなめらかな口当たりと、深い旨みを生み出す大きな要因となっています。
実際にGI京都では、京都の酒について、きめ細かな滑らかな口当たり、適度な旨みと甘み、旨みの余韻が長く続く特徴を持つものが多いとされています。ここで大切なのは、「京都の酒は全部同じ味だ」と言うことではありません。京都という土地の水や気候、歴史的な酒造りの積み重ねが、そのような個性を持つ酒を生みやすい、ということです。テロワールとは、まさにそうした背景を考えるための言葉です。水はあくまで大きな要素のひとつであり、米や気候、蔵ごとの技術と重なって、京都らしい酒の印象が形づくられてきたと考えるのが適切です。
京都の酒が面白いのは、自然条件だけでなく、文化の文脈でも語れることです。GI京都では、酒造りを司る神を祀る松尾大社や、平安時代に宮中に置かれた酒造司が挙げられており、酒が単なる地場産品ではなく、都の暮らしや食、美意識とともに育ってきたことがわかります。日本酒のテロワールは自然だけでは語ることができません。さらに、その土地での飲まれ方や食文化、蔵元が受け継いできた造りの工夫まで含めて見ると、酒の個性がどこから生まれているのかが、ぐっと分かりやすくなります。
近い産地と比べると、「土地の違い」がもっと見えてくる
テロワールによる酒の個性は、ひとつの土地だけを見ているときより、近い産地と比べたときによりはっきりします。たとえば滋賀です。滋賀もまた、水と米に恵まれた酒どころです。GI滋賀では、琵琶湖を囲む山々からの豊かな伏流水、良質な近江米、寒冷な気候によって、「米由来のふくよかな甘味と旨味」を持つ酒に仕上がると言われています。京都と滋賀は地理的にも文化的にも近い地域ですが、滋賀は「米と水の豊かさ」が前に出やすく、京都はそこに都の文化を重ねて語られやすい。近い土地だからこそ、その違いがはっきりと見えてきます。
もうひとつ比べやすいのが兵庫県の灘五郷です。灘五郷は、神戸市から西宮市にかけて広がる5つの地域(郷)の総称で、日本最大の生産量を誇る酒どころです。宮水に代表される硬水と寒造りに適した気候で知られており、GI灘五郷ではその硬水が健全で力強い発酵を促し、「後味の切れが良い酒質」を形づくってきたとされています。京都府の説明が伏見の水を灘より硬度が低いものとして紹介していることも踏まえると、同じ関西圏でも、水の違いが酒の印象の違いにつながっていることがよくわかります。関西の酒、とひとくくりにはできない。その土地ごとの違いこそが、日本酒のテロワールの面白さです。
こうして比べてみると、日本酒の個性は、蔵の違いだけでなく、土地の条件の重なりからも見えてくることがわかります。水が違う。育つ米が違う。寒さの出方が違う。さらに、その土地でどんな食文化と結びついてきたかも違う。それらの重なりが酒の個性になっていきます。テロワールは、決して気取った言葉ではなく、日本酒をより深く楽しむためのひとつの見方といえます。
日本酒を「土地」で見ると、選び方が変わる

日本酒は、銘柄で選んでももちろん楽しめます。ただ、そこに「どこの酒か」という視点を加えると、楽しみ方は一段と深くなります。京都の酒を飲むなら、京都の水や文化の中で育ってきた酒として味わえる。そこから滋賀や灘五郷にも目を向ければ、近い地域でもこんなに違うのかと気づかされます。ワインが産地で語られるように、日本酒もまた土地で語られる酒なのです。
京都の酒は、その入口として、とても分かりやすい個性を持っています。けれど、本当に面白いのは、京都を知った先に他の産地も見えてくることです。日本酒のテロワールとは、ひとつの土地を持ち上げる話ではなく、それぞれの土地にそれぞれの酒があることを知る楽しさです。次に日本酒を選ぶときは、ぜひ味わいの表示だけでなく、「どこの酒か」にも目を向けてみてください。そこから一杯の見え方が変わってくるはずです。
おわりに
日本酒を「土地」で見ると、知識が増えるだけでなく、飲む時間そのものが少し豊かになります。京都の酒をきっかけに地域ごとの違いをたどっていくと、味は偶然できているのではなく、その土地の水、米、気候、人の工夫の積み重ねから生まれていることが見えてきます。
日本酒のテロワールとは、難しい理屈ではなく、酒をその土地ごと味わうための楽しみ方と言ってもいいかもしれません。次の一杯では、ラベルの名前だけでなく、その酒がどんな土地から来たのかにも、ぜひ目を向けてみてください。

白嶺 Platinum 40磨き
純米大吟醸原酒
バランスの取れた旨味と酸味。
白嶺の仕込み水「不動山水」をも感じる柔らかく綺麗な口当たり。
思わず杯を進めてしまう大吟醸です。